「レミオロメンと小林武史には、どんな関係があったのか?」
30代の音楽ファンであれば、一度は気になったことがある疑問ではないでしょうか。
Mr.Children、サザンオールスターズなど数々の名作を支えた音楽プロデューサー・小林武史。
そして『粉雪』『3月9日』で一時代を築いたバンド・レミオロメン。
本記事では、「レミオロメンと小林武史の関係性」を丁寧に整理します。
レミオロメンと小林武史の関係は「全面プロデュース」ではない
まず、はっきりしているのは、小林武史がレミオロメンの全活動をプロデュースしていたわけではないという点です。
小林武史は、レミオロメンの特定の時期において音楽プロデューサーとして関与しましたが、バンドのキャリア全体を通して常に関わっていた存在ではありません。
具体的には、2003年11月リリースのメジャー1stアルバム『朝顔』から共同プロデュースという形で関わり始め、2006年の3rdアルバム『HORIZON』まで深く関与しました。
しかし、2010年の5thアルバム『花鳥風月』では、レミオロメンが初のセルフプロデュースに挑戦しており、小林武史は直接的には関わっていません。
この点が曖昧なまま語られることが多く、「小林武史=レミオロメンのプロデューサー」という誤解が生まれやすくなっていると思います。
小林武史が関わった時期と背景
小林武史が本格的に関わり始めたのは、2005年1月リリースのシングル『モラトリアム』(オリコン8位)以降です。
この頃から、小林武史がキーボードで全面参加するようになりました。
小林武史が関与の段階的な経緯
• 2003年5月リリースのアルバム『朝顔』(オリコン17位)では共同プロデューサーとして名を連ねるが、演奏参加は最終曲「追いかけっこ」のキーボードのみ。
• 2004年3月リリースのシングル『3月9日』(オリコン11位)では共同プロデュースとして関与するが、編曲はレミオロメンのみ。
• 2005年1月リリースのシングル『モラトリアム』(オリコン8位)以降は全曲にキーボードで参加し、アレンジにも深く関わるようになりました。
• 2005年11月リリースのシングル『粉雪』(オリコン2位)ではプロデュースとアレンジの両面で全面参加、バンド最大のヒット曲に押し上げました。
この頃のレミオロメンは、バンドとしての方向性、ポップスとロックのバランス、大衆性と独自個性の両立という課題を抱えるようになりました。
小林武史は、楽曲の世界観や構成を整理し、より多くの人に届く形へと導く役割を果たしました。
これは「音楽性を変えた」というより、持っていた魅力を最大化したと表現する方が正確なのかも知れません。
レミオロメンの音楽性への影響|分かりやすさと普遍性
小林武史のプロデュースで特徴的なのは、以下の3点です。
1. メロディの分かりやすさ
2. 感情が伝わるアレンジ
3. 世代を超える普遍性
初期の『朝顔』では、ほぼスリーピース編成(ギター、ベース、ドラム)でシンプルなバンドサウンドを追求していたレミオロメン。
しかし、小林武史の関与が深まるにつれ、ストリングスやキーボード、ピアノなどが加わり、より壮大でドラマティックなアレンジへと進化していきます。
特に『粉雪』では、流麗なピアノの音色と柔らかいストリングスが絡み合い、藤巻亮太の繊細な歌詞世界がよりストレートに伝わる形で表現されました。
この変化については、ファンの間でも賛否両論がありました。
「より洗練された音楽になった」と評価する声がある一方で、「バンドらしさが失われた」「小林武史のアレンジが主張しすぎている」という批判的な意見も聞かれました。
レミオロメンの楽曲が、10代だけでなく30代になっても刺さる理由の一つに、この「普遍性」があります。
日常の中で誰もが感じる感情を繊細に描き出し、季節や情景をサウンドと歌詞によって表現するレミオロメンの手法は、小林武史のプロデュースによってさらに磨かれました。
レミオロメンの藤巻亮太と小林武史の関係性と距離感
藤巻亮太は、もともと強い作家性を持つソングライターです。
小林武史はその個性を否定することなく、藤巻亮太の良さを引き出す立場に徹していました。
藤巻は後のインタビューで、「本当にこのままでいいのかな?」、「自分たちひとりひとりが音楽にどう向き合うべきか?」といった悩みを小林武史に相談することもあったとのこと。
この関係性は、師弟関係というよりクリエイティブな協力関係と捉えるのが自然です。
2010年3月リリースのアルバム『花鳥風月』(オリコン2位)は初のセルフプロデュース作となり、「地に足のついたアルバム」「1stの『朝顔』の頃のような気持ちで作れた」とメンバー自身が語っています。
レミオロメンは、小林武史が代表取締役社長を務める日本の音楽・映像制作プロダクション企業の『烏龍舎』に所属していました。
事実、藤巻亮太のソロ活動時小林武史にアレンジを依頼することもあり、決して藤巻亮太との関係がギクシャクするような悪い関係性ではなかったと思います。
レミオロメン音楽性の変化とファンの反応
小林武史のプロデュースによる音楽性の変化は、商業的な成功をもたらした一方で、バンド内部にも葛藤を生んだ可能性が指摘されています。
商業的成功
• 『朝顔』:オリコン17位
• 『ether(エーテル)』:オリコン2位
• 『HORIZON』:オリコン1位
アルバムを出すたびに売上を伸ばし、「粉雪」は2005年にオリコン2位を記録。
レミオロメンは一躍、若手ロックバンドとして注目される存在となりました。
しかし、2008年の『風のクロマ』では、前作から売上が大幅減となり、ファンが離れつつある状況も見られました。
個人的には、『風のクロマ』のアルバム構成も原因があるのかなと思います。
トータル約76分にも及ぶロングプレイはリスナーにとって、後半はややダレ気味になってしまうと思いました。
合わせて『粉雪』の大ヒットの後ということで、リスナーの興奮が落ち着いてしまったことと、『粉雪』以上を望むリスナーの心を掴めなかったのではないでしょうか。
また、『粉雪』の大ヒット後の楽曲が「狙いすぎ」「アレンジが無駄にスケール感を出そうとしている」という批判もありました。
初期の素朴で温かいバンドサウンドに惹かれたファンにとって、壮大なアレンジへの変化は必ずしも歓迎されるものではなかったようですね。
小林武史との関係がレミオロメンに残したもの
結論として、小林武史との関係はレミオロメンに次の3つを残しました。
1. 楽曲を”多くの人に届ける視点”
2. 感情表現の整理と強化
3. 長く聴かれる音楽の作り方
これは、活動休止後もレミオロメンが再評価され続ける理由の一つです。
『粉雪』『3月9日』といった楽曲は、冬や卒業シーズンになると今でもテレビで使われ、多くの人に歌われ続けています。
小林武史のプロデュースは、レミオロメンを「国民的バンド」へと押し上げた功績は大きく、バンドの成功に欠かせない存在だったと言えると思います。
一方で、その音楽性の変化がメンバー間の方向性の違いや、2012年の活動休止につながった可能性も否定できません。
まとめ|レミオロメンと小林武史との関係性を知ると楽曲の聴こえ方が変わる
レミオロメンと小林武史の関係は、
• 全面的なプロデュースではない
• しかし確実に重要な時期に関わっていた
• 音楽性を「大人のポップス」へ押し上げた
という、適度な距離感を保った協力関係でした。
当時何気なく聴いていた曲を聴き返すと、その完成度の高さに改めて驚かされます。
初期のスリーピースバンドとしてのレミオロメン、小林武史とタッグを組んで大衆性を獲得したレミオロメン、そしてセルフプロデュースで原点回帰を試みたレミオロメン。
それぞれの時期に異なる魅力があり、小林武史との関係性もその一部分にすぎません。
関係性を知った上で聴くレミオロメンの楽曲は、きっと以前とは違った響きを持つはずです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
see you!
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